2012/04/03

春嵐の夜に - on a stormy night


せっかく、ようやく春の気配が漂いはじめて、
遅めの桜が咲きかけたところで、この嵐・・・。
桜の木、大丈夫かなぁ。

外は雨風が吹き荒れて、首都圏の交通機関は大混乱している模様。

そんな大荒れのお天気の日でも、
心はこの数日間でいちばん落ち着いているのが不思議な感じ。

混乱を予測して早めに帰宅したので、
夕方には祖母と二人で美味しいケーキを食べながら、静かな時間が流れ、
久しぶりにゆっくりとお話ししました。

祖母は、祖父を亡くしてからこの十数年、
とても生き生きと暮らしている。
市場でたくさんの食料を買って、たくさんのごちそうを作り
ご近所の方やお知り合い、そしてわたしたち家族に届け、
朝は満員電車に乗って、プールに出かけ、
庭の草花を大切に育て、部屋に飾る。
そんな風に、日々を丁寧に暮らしている祖母を
一人の女性として、わたしはいつもとても誇りに思う。

御年84歳の祖母は、今とても幸せだと言う。
「まわりのご老人たちは、口を揃えて『さびしい』と言うけれど
おばあちゃんは、ちっともさびしいと感じない」と言う。
毎日、質素ながらも丁寧な暮らしを営み、
一握りのいい人たちに大切にされ、満たされているのだと。

わたしは、毎日たくさんの素敵な人に囲まれ、家族がいて、
大切に思ってくれる友達に恵まれ、
すばらしい仕事に携わっているのにもかかわらず、
心の中にいつもぽっかりと「さびしさ」が浮かんでいる感じがしている。
その「さびしさ」の存在感は大きくて、
人間ってそういうものなのかもしれない、とさえ思う。

そして、その「さびしさ」が心に占める範囲が巨大化していた矢先に
ほんのしばらくの間、祖母と暮らすことになったことは
わたしにとってかけがえのないギフトになりました。
これは、きっと仏様のはからいなのでしょう。

そして、祖母は、お部屋で瀬戸内寂聴さんの説法を聴いています。
こんな心細い嵐の夜に、おばあちゃんのそばにいてあげられてよかった。

写真と内容が、全然関係ないけど、次回は、きっと桜の写真を。

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